【非公式】この素晴らしいユニバに祝福を!〜東北大学ユニバーシティハウス三条の評判と実態、魅力〜

東北大学ユニバーシティハウスをまあまあ中立的にに入居者目線でご紹介!アクセス?評判?なにそれおいしいの?

【引退宣言】この素晴らしいユニバに祝福を!

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(このブログ史上一番つまらなく、無益であること保障します。)

1,どうしてこうなった

  拝啓 このブログとUHに関わる全ての方へ

 それでもやっぱりカリフォルニア州サンディエゴに移住したくなるこの寒中の中、いかがお過ごしでしょうか。

 どうせ肌の乾きや足の冷え、あるいは寒気のもたらす頭痛で頭を痛くされていることでしょう。

 さて、本日(2018/02/18)をもちまして、私みつること中本充はこの「Re:ゼロから始めるユニバ生活」の執筆を引退し、次世代に引き継ぐことにいたします。

 

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 決して誰かからの圧力があったからでも、誰かに忖度しているからでもありません。

 ほとんど賛同する人のいない中、2017年の2月頃にUHをより良くするためにほとんど個人的に書き始め、まあまあのPV数を稼ぎながらも別に儲かることも無く、特に感謝されることも無くただ淡々と続けて参りました。

 一方で、私がUHに入居したのは2015年4月、アドバイザーに就任したのが2016年2月であったことを考えると、UHという側面からすれば私はもはやUHに染まりすぎ、もはやUHが当たり前になってしまい、そもそも当初の目的であった「UHの独自性」が何なのか最早分からなくなってしまったという事情があります。

 

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 また、もう大学卒業までのカウントダウンの音がゆっくりと、しかし確実に大きく聞こえ始めているので、管理者不在のまま放置していたらそれこそ最新の情報を反映していない恐ろしいトラップにこのブログがなりかねないという危機感もあり、次世代に託していくか、あるいは個人の一ブログが寿命を終えたと言うことでそのまま消してしまおうか、という選択の岐路に立たされました。

 当たり前ですが、企画者もライターも編集者も私である以上このブログは私の私物でありましょう。このブログの運命を決める権利ぐらいは私にはあるでしょう。

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 一方でUHについてはもうそろそろ青葉山も完成する頃でしょうし、UHについて検索したときに、まあまあ上の方に表示されるというだけのこのブログの立ち位置はUHに関するFakeNewsが氾濫する現代に於いては単なる私物としてではなく、より公共性のあるのものになり得るのではないか、次世代に引き継ぐのもわるくないのではないかと思うに至りました。

 とはいえ、未熟ながらもそれなりに育て上げたコンテンツ群と、検索される際における資産性について、よくわからない他人にポンと渡すのも釈然としないわけです。

 こう、次元は違いますが宮崎駿が自作品を別媒体に他人に仕立て上げられるとき、ダメだし前提にチェックを入れる気分なわけです。駿さんの本意は知りませんが。

 

f:id:mitsuru100:20180218162019j:plain たしかに下らないコンテンツの塊かもしれませんしユニバーシティハウスと検索してもトップページの下の方にしか出てこないゴミみたいな資産かもしれません。

 一方で、一個人がまっとうな方法でここまで持ち上げるためにはそれなりの労力や経験値というものが必要なのです。経験しなければわからないとはおもいますが。電力の安定供給と同じ側面があるのかもしれません。楽そうに見えて、結構大変。

 それはそれで他者・大学に頼ること無く上の方に表示されるような、即ちGoogle的にユーザーに有用なものを創り上げるということを自ら模索するという正攻法を選んだ自らの選択による結果ですからいまさらごねるのもどうなのかなとおもいます。

 それでもなお、だからこそ、もしUHの発展に資するなら消してしまうのでは無く、残すという微妙な賭けをしてみたいと思います。

2,UHでの思い出?

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 あんまりいい思い出はないような気がします。

だいたい

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これを

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こうするようなひどい暮らしから始まるわけです。

 大学のいっていた快適な施設という言葉にもうすこし夢を見たかった。けどまあ辛い現実を目にしたときこそ、毅然とと立ち向かわなければどうしようもならんわけです。

 私のUH暮らしは三条Ⅰから始まりましたが、始まった時点で泣いてました。入居日には一人で(コンセプト通り)トランク二つばかり抱えて一人でやってきたのですが、慣れない枕に固い布団。ユニットメンバーは揃わず誰もいないがただ荒廃しきったユニットで、初日から枕を濡らしてしまい、濡れていると寝れないので裏返したのはいい思い出、でもないかもしれません。

 まあ、それでも一通り慣れ、ユニットメンバーも出そろい、皆仲良くなり…

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いつの日か、この場所まで来ました。

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 近所の神社で神輿がでるというものですから、人を集めて担いでみたりと、それなりに楽しい日々を送っておりました。

 それでもなお、別れの日は来るというもので、私の当初の入居許可期間は一年間でしたから、一年間かけて作ったユニットともお別れでした。

 そのときの気分を例えるならば首都圏の子供が慣れない手つきと珍しい雪で一生懸命作った雪だるまが一二時間後には溶けて泥水に変わっているそれとあまり変わらないでしょう。

 なにはともあれUHに引き続き住みたかった私はUHアドバイザーの任命を頂き、別のユニットでの1年の入居許可を頂きました。

 これまたゼロからのスタートですから。そこで見たものは荒れ果てたユニットと、壊れかけた人間関係でありました。

 まあ仕方が無いので誰が汚したのかも分からない汚れを粛々と一人で洗い流し、ゴミは分別して捨て(ゴミ袋は当然自腹)、それなりの自分の居場所を作り上げました。

 このブログに今まで載せてきた汚いユニットは私が渡り歩いてきたものであり、だいたいきれいになっているのも私の仕業であります。まあ、汚いの嫌だし。

 同時にアドバイザーとしても恐らくユニバ始まって以来のユニバ初バスツアーを立ち上げました。当時はバスを大学が出してくれるなどという甘い話は無かったものですから自らバス会社ほうぼうに電話し(自腹)ようやく一大学生に貸切大型バスを出すというバス会社を探り当てました。

 もちろん信用力の無い一個人がバスを借りるのには対価が必要です。赤字になったら大学生にとっては巨額の負債を抱え込むことになります。だから無い知恵をかき集め、どうやったら人は何の実績も無い一大学生が企画したツアー如きになけなしの金を支払ってくれるのか、そもそもどうやって金を回収するのか、キャンセル率を減らせるのか考え抜きまして参加者をかき集め、満席状態でのツアーを催行することが出来ました。

 もちろん当日無事に催行できたのはアドバイザー仲間のお陰ではあるものの、リスクの取り方を身をもって知りました。諸経費無料とは言え助けてくれた仲間には感謝しています。

 

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 その後も頼まれもしないのに相対的には激安、絶対的には高額なスキーツアーなるこれまた無謀なる賭けをするわけですが、最初の旅行で身についた知恵と工夫を凝らし、やはり数十名の集客に無事に成功することになるのでした。キャッシュフロー(売上高)は百数十万円という絶妙な賭けでしたが。

 これは当初からPJチーム戦であったことから比較的楽だろうと思いきや、見事なる重くて頭痛が痛い頭脳労働でした。頭脳の分業とは恐らく不可能なのでしょう。分業を試みたところで本気で取り組んでいたPJチームメンバー全員は各の頭のキャパを使っているのであんまり意味は無かったと思いますが。

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 このゼッケンひとつ作るだけでもゼッケン屋が信用の無い一個人とは取引したがらないのでいろいろと大変でした。ゼッケンだけで大変なのですから全体像は書き出すことが出来ないので誰かの頭に入れてある状態でした。

 それでもなお、やはりこうした苦労の一つ一つは血となり肉となるのでしょう。いろいろなところでこのときの経験は生きております。

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こういった学びを経る中でも時間は過ぎるもので、当然他のアドバイザーのイベントは手伝い、テストは受け、ユニットもなんとかするという数足のわらじを履いた状態でありました。ダブルタスクって辛いなあと思うわけでした。

 なんやかんやでこのとき部屋の水漏れが発覚し、またユニットを移動したのでした。まあ、その後は同じ流れなので省略します。なお、水漏れにより汚損した私の私物が補償されなかったことは別に恨んでません。全然恨んでません。本当だよ?貴重本もあったけど、恨んでませんからね?ある意味東日本大震災の影響ですから仕方が無いと今ではおもっています。

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 翌年度になると、また部屋替えがあり、ユニバを飛び越してUH三条Ⅱで暮らすことになりました。ここもやっぱり汚損していましたが、同じ流れでがんばりました。面倒くさいのでこの過程は省略します。

 この年度もいろいろと新しいことを始めたりして大変な事もあったような無かったような気もしますが、UH入居2年目の半ばでいろいろと感覚が麻痺していったのであんまり覚えていません。

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 ただ一つだけ思うのは、リスクを負わないと人は学ばないということでした。

 そしてリスクを取らない人が平気でリスクテイカーに文句を付けるという、ある意味人類文明の縮図を体感し、それはそれで面白いんだか面白くないんだかわからん貴重な体験をしました。

 ただ、もし責任の無い誰かに迷惑を掛けたとしたら申し訳なかったと今でも思っています。

 これだけで十分UHないしは東北大学に来た意味があったような気がします。

 まあでも、リスクが無いならそれはそれで新しいことに頭を使い始めるかもしれないので、いいことなのかもしれません。

 気付いたときにはアドバイザーをだいたい2年ぐらい努め、功労賞受賞の流れに至りました。功労賞を受賞すると、卒業までの無条件でのUH入居と入居先希望と、そして一分間もの貴重なスピーチをする権利、あとはわずかばかりの名誉(賞状)がもらえます。

スピーチの機会こそが私にとっては一番貴重に感じられたので大切に使いました。

ちなみにこんな内容につかいました。

・ここまで素晴らしい機会を惜しみなく提供してくださった人々への感謝の言葉

アメリカ民主党をさりげなくdisる

・J.Fケネディの1960年ぐらいの宇宙開発に関する演説を引用;「宇宙を目指すのは不可能だ。だからやる。なぜならば不可能を克服する過程で能力の限界を知り、全てを駆使することになり、それすなわち人類の発展になる。だからアメリカは宇宙開発をする。」(要約)

・できないことをやりとげて、UHを次の次元に導いて欲しい

・UH青葉山というビックウェーブも来てる

・キャパはあるはず。やっちゃえ、ユニバ!

  J.F.ケネディのスピーチは建前であり、本音はソ連に対抗したい。アメリカ流自由と安全が危ない。守れるのはロケットで、出来るのはアメリカとソ連だけだ。そしてアメリカはそれを始める。ということが、きちんとスピーチの全文を読めば分かるのですが、あんまりだれも気がつかなかったようです。(気付いた人はいた)

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 UH青葉山完成にあたっていろいろと起こるんじゃないかなあ、という懸念と、そしてどこかで誰かが出会うであろう葛藤と争いと苦しみがあるかもしれないことを平和的に伝えたのですが、解釈の仕方は無限にあるのです。

 恐らく誰かの解釈が当たって、あのときあいつはこのことを予言していたのか、といつか、どこかで勘違いして私の評価が勝手に上がれば幸いです。

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 もういい加減に気付いたと思いますが、ユニバに入ると、新しいことを始めると、アドバイザーを務めると、このくらいの長文がすらすら出てくるぐらいいろいろな経験ができます。

私は宮崎駿ではないので、アドバイザーを引退しただけであってあのブログは引退していないなどと引退撤回はするつもりはありません。

引退撤回するつもりはありません。大切なことなので二回言いました。

絶対、絶対だからな!

 

 それでは、辛いかったことも、苦しかったことも、悩んだこともあったけれども、

それ以上のものをたくさんくれたこの素晴らしいユニバに祝福があらんことを!

平成30年2月18日

 ロンドン・テムズ川のほとりに立つテムズハウスの向かい側にあるベンチに座る自分を想像しながら、それでもやっぱりUH三条Ⅱの自室の事務椅子にて

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